特攻隊について学び、戦争体験者の話も聞いたと語った(撮影/山口京和)
戦後80年の節目を迎えるなか、お笑いコンビ・ペナルティのワッキーが“特攻の母”を題材とする舞台に出演し、プロデューサーを務めた。ワッキーは舞台に挑むにあたり、鹿児島の知覧特攻平和会館に行ったり、戦争体験者から話を聞いたりしたと明かす。舞台にかける思いを聞いた。(前後編の後編。前編から読む)
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――もともと特攻隊の歴史に興味があったのですか。
ワッキー いや、みなさんが知っているくらいの知識しかありませんでした。役をもらってから初めて本を読んだり、特攻隊基地のあった知覧(鹿児島)に行って知識を増やしていった感じです。さまざまな資料が展示してある知覧特攻平和会館にも行って、そこで特攻隊員たちの遺書にも初めて触れました。隊員たちの平均年齢って17、18歳なんですけど、とにかく達筆で。内容もしっかりしている。そのことにびっくりして。
――特攻隊の話は、普通の人は容易に語れない世界だと思うんです。あまりにも重過ぎるし、センシティブな面もあるので。
ワッキー だから、僕もプロデューサーを引き受けるに当たって、特攻隊で生き残った人に話を聞きにいったんです。靖国神社へ行って、こういう芝居をしているので、誰か紹介してくれませんか、とお願いして。そうしたら埼玉に住んでいる上野さんという方につないでくれて。上野さんはもともと特攻隊員ではなかったんです。特攻隊がどんな戦果を上げたかを上から見守る役割を担っていた。ただ、そんな上野さんも最後の最後、8月14日に出撃命令が下って。その翌日に終戦を迎えて、一命だけは取り留めたんだそうです。