そんな長久手町もいつのまにか「市」になり、あるとき帰省すると、母が「古戦場跡になんか資料館ができたらしいよ。行ってみる?」という。
ジブリパークもIKEAも、何にもなかった頃の話だ。
「面白いの?」と私。
「面白いかどうか……、でも、喫茶店がある」
「ふーん」
「その店、どんな名前にしたと思う」
「家康?」
と答えると、母は笑いをこらえながら、
「足軽……」とボソリ。
こういうところなんだ、名古屋(長久手)は。しみじみそう思う。
「足軽」って、「身の丈を知ってる」って意味では大切なメッセージかもしれない。それとも1周回ってオシャレなのか、真意は不明だ。まあ、元々はみんな農民だから、足軽でも上出来なのか。
でも、嘘でもいいからそこは「大名」だろう。
高木守道が「塁に出て」で満足されちゃったのも、結局、こういう独特の分のわきまえ方のせいなのだろう。
高木についての不満なら、忘れちゃいけないのがニックネームだ。さて、何か?