ミスタードラゴンズの素顔
サヨナラホームランを打っても、ガッツポーズどころかニコリともしない。そんなプレースタイルは確かに子供の目にも眩しかった。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」的な価値観が大好きな昭和の日本人の心を揺さぶった。
だけど、「物静か」だから「沈着冷静」で「深慮遠謀」の「知将」かといえば早とちりだ。連想を膨らませすぎると、ちょっと違うぞって話になる。期待しすぎってのもそうだが、根本的な問題として情報が足りていないんだ。
そもそも高木、なかなかヤンチャな人だったようだ。
デビュー戦のエピソードだが、代走に起用されるといきなり盗塁を決めたのは有名な話だ。そして、その後に回ってきたプロ初打席で初ホームランをかっ飛ばすあたり、絵に描いたようなスターのエピソードだ。
ただ問題はその日、どこから球場に駆け付けたか、だ。
パチンコ屋だ。しかも館内放送で呼び出されて、そのまま球場入りしたという。
ヤンチャとは関係ないが、高木で有名なのが1951年、中日スタヂアムが燃えた火災事件のとき(原因はたばこの不始末だという)、少年・高木守道が偶然野球を観戦していたというエピソードだ。でも、それ、「えっ、そうだったの?」とは思うかもしれないけど、ドラゴンズとの縁の深さという意味でもちょっと微妙だ。普通は「杉下茂の完封劇を見て、将来はドラゴンズのユニフォームを着ようと決意した」みたいなエピソードだろう。
そして、性格だ。静かなる戦士だと思われていたが、じつは「瞬間湯沸かし器」だったらしい。監督に就任した後、にわかにそういう話があふれはじめた。
(第6回に続く)
※『人生で残酷なことはドラゴンズに教えられた』より一部抜粋
【プロフィール】
富坂聰(とみさか・さとし)/1964年、愛知県生まれ。拓殖大学海外事情研究所教授、ジャーナリスト。北京大学中文系中退。1994年、『龍の伝人たち』で21世紀国際ノンフィクション大賞・優秀賞を受賞。『中国の地下経済』『中国の論点』『トランプVS習近平』など、中国問題に関する著作多数。物心ついた頃から家族の影響で中日ファンに。還暦を迎え、ドラゴンズに眠る“いじられキャラ”としての潜在的ポテンシャルを伝えるという使命に目覚めた。