編集長として活躍していたころ(左が邦子さん)
【十二月八日CTスキャンの脳画像】
この句には「妻邦子発症」の前書きがついている。
「2012年でした。若年性の認知症です。一生支えていくんだ。と、心に決めました」
【「あなたのは」とばかり訊く妻さくらんぼ】
「症状が進行してくると、いろいろなことができなくなる。食事の世話は私がやります。まず邦子の分をこしらえて、テーブルに並べる。すると毎回のように“あなたのは?”と訊くんです。さくらんぼそんな彼女の可愛らしさを表現したものです」
毎度同じことが続くと、ついイライラしてしまうこともあった。「まずお前に食べさせて、俺はそのあとで食べるの」と、強い口調になることもあったという。
「あなたのは?と何度も訊くのって、今考えると、私のことを気遣っていたんですね」
【手を握り祭りの夜を彷徨す】
かつて、子どもたちを連れて行った近所の祭りに、邦子さんと出かける。手を離すと、どこかへ行ってしまいそうで怖い。
「お祭りだから、本当は華やいだ気持ちになってもいいのだけど、気が気じゃない。ただふたりで、あちらこちらを彷徨うだけで、結局疲れて花壇の石に座り込んだのを覚えています」
小山さんは、65歳で定年退職した後も、非常勤の教師として小学校で俳句の授業を持った。授業のある日は、生活のあちこちがおぼつかなくなっている邦子さんを残して、出かけなければならない。
夫が外出の準備を始めると、その気配を感じた邦子さんは、どこに行くのとぽろぽろ涙を流したり、布団からでてこなくなったり、寂しそうな顔をして玄関の上がり框に座ったきり動こうとしなくなったり。子どものように小山さんを困らせた。