作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』
ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。今回は近現代編第十四話「大日本帝国の確立IX」、「シベリア出兵と米騒動 その24」をお届けする(第1449回)。
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前回、日本のマスコミによる「北朝鮮拉致報道史」の分析で、いかに日本の左翼勢力が「共産国家の悪は暴きたくない」という欲望に執着しているかが、おわかりいただけたと思う。
そして、教育と報道が左翼勢力に完全に支配されている韓国では、どのような恐るべき事態になっているかも紹介した。日本も小泉訪朝以来「報道」の分野では少しはマシになったのだが、教育とくに歴史教育の面では、多くの日本人が「北朝鮮が日本人拉致などしているはずがない」と信じ込まされていた時代とたいして変わりない状況が続いている。
あらためて、いま日本人のほとんどが忘れて、いや忘れさせられてしまった尼港事件とは、次のようなものである。
〈にこう-じけん【尼港事件】
シベリア出兵中の大正9年(1920)、ソ連のパルチザンが尼港で日本人捕虜などを殺害した事件。日本の世論は激高し、日本軍は事件解決まで北樺太(からふと)を保障占領した。〉
(『デジタル大辞泉』小学館)
このように、尼港事件は国語辞典にも記載されている重要項目なのだ。
ところが、それが高校の歴史教科書にはまったく載せられていない。たとえば、日本の高校歴史教科書でもっとも水準が高いと定評があり、二〇一七年(平成29)には一般書籍として刊行されベストセラーにもなった『新 もういちど読む 山川日本史』(五味文彦、鳥海靖 編 山川出版社刊)の「シベリア出兵」のくだりを見ると、
〈ロシア革命によって、ロシアが連合国側から離脱したことに衝撃をうけた連合国は、1918年シベリアにとりのこされた連合国側のチェコスロヴァキア軍の救援を理由に、シベリアに出兵した。アメリカから共同出兵を要請されると、日本も大軍をシベリア・沿海州・北満州におくり、革命をおさえようとした。日本は連合国の撤兵後も駐留していたので、内外の非難をあび、巨額の経費を使い多くの死傷者をだして1922(大正11)年ほとんど成果をあげることなく撤兵した。〉
とだけ書いてあり、尼港事件のことは欄外にも無く、索引にも無い。
たしかに、いくら教科書とは言えすべての項目を網羅することは不可能である。しかし尼港事件に関して言えば、連合国が撤兵した後も日本が駐留を続けたのは、ソビエト軍(赤色パルチザン)による日本の民間人虐殺という、絶対に許してはならない残虐行為について謝罪と賠償を求めていたからなのだ。だから、頑として責任を認めないソビエト連邦に対し、謝罪と補償を求めるため北樺太(現在のサハリン北部)を保障占領すらしたのである。
その事実をまったく記載せずにシベリア出兵の記述をするのは、きわめて問題だ。日本が数年だけとは言え北樺太を「占領」していたのも、「日ソ外交史」においてはきわめて重大な歴史的事実なのだが、これも現在多くの日本人が知らない。理由はおわかりだろう、尼港事件を隠蔽しているからだ。
「日本軍、ソビエト領北樺太を保障占領」という歴史的事実の理由を述べるためには、「かつてドイツが清国の膠州湾を占領したのは、ドイツ人宣教師が殺害されたことが原因としてある」ように、因果関係に言及しなければならない。それが「嫌」だから尼港事件を隠蔽する。少なくとも教科書には載せない。なぜ「嫌」なのかは説明するまでも無いだろうが、「共産国家の悪は暴きたくない」人々が、そうした事実をできる限り隠蔽しようとするからなのだ。
しかし「北樺太の保障占領」ひとつとっても、歴史を論ずるなら絶対に忘れてはならない事実である。日本側の視点から言えば、この占領は「当然の行為」だが、ソビエト側から見れば「日本の飽く無き領土的野心の発露」であろう。そうした対立する視点を踏まえながら、裁判官のような公平な視点で歴史上の事象を評価分析するのが、歴史を論ずる者の最低限の心得である。