尼港事件に戻ろう。では、左翼歴史学者が鬼の首を取ったように強調する「日本軍の不法行為」は実際にあったのか? あったのだとしたら、なぜそういう行動に踏み切ったのか?
尼港事件に関しては、日本側の調査報告もあればソビエト側のものもある。しかし、まずソビエト側の報告書はまったく信用できない。
ロシア帝国時代の「アムール川の流血」(江東六十四屯における中国人大虐殺)をはじめとして、ソビエトは「カチンの森の虐殺」だけで無く、ヨシフ・スターリンの大粛清(自国民の大虐殺)あるいはホロドモール(1932年に発生した大凶作で周辺国家から小麦を収奪、多数の餓死者を出した)など、ソビエト国民だけで無く、周辺国家の人々を数百万単位で死に至らしめてきた。
ウクライナはホロドモールの恨みをいまも忘れていないはずだ。ウクライナは農業国で食料輸出国でもあった。本来なら餓死者など一人も出ないはずの国で、少なくとも数十万人の死者が出たのだから。しかし、ソビエトは一貫して責任を認めてこなかった。
そのような、絶対に自国の責任は認めないソビエト政府(絶対に共産主義国家の悪口を言わない日本の左翼歴史学者と見事に「呼応」している)ですら、ニコラエフスク(尼港)における虐殺と破壊は「事実」と認め、現地に派遣されていた赤色パルチザンの指揮官ヤーコフ・トリャピーツインら幹部を死刑に処した。要するに、自国の悪は必ず隠蔽するソビエトですら、トリャピーツインの悪行は見逃せなかったということだ。
それほど悪行は明白だったのだが、それでも前にも述べたように日本人、とくに民間人の虐殺については判決理由のなかには無い。その責任は認めていないのだ。そして日本軍と交戦したことは認めているが、そうせざるを得なかったのは日本軍が一方的に休戦協定を破って奇襲攻撃をかけてきたからだと、ソビエト側の調査報告にはある。
つまり日本の左翼歴史学者が「丸呑み」にしている部分だが、それが事実だったのかを判定するのはきわめて難しい。現地にいた日本人は兵士も民間人もすべて殺されてしまったし、ニコラエフスク市街は焼き払われて物的証拠などすべて灰燼に帰したからである。
だがそうした事態を目撃し、命からがら脱出してきた少数のロシア人はいる。彼らに聞けば真実がわかるはずだと考えた白系ロシア人のジャーナリストがいた。アナトーリー・グートマンという。彼は革命勃発時にはロシアにいてコルチャーク政権のあったオムスクやウラジオストックでも新聞を発行し、その後日本に逃げてきた。そして、ニコラエフスクでなにが起こったかをあきらかにするため生き残りの人々を探し出し取材して、その結果をまとめた労作が『ニコラエフスク・ナ・アムーレの非業の死』である。
これは事件の四年後の一九二四年(大正13)にベルリンで出版されているのだが、当初日本ではあまり注目されなかった。じつは日本ではこの事件が伝わって以後、ソビエト非難を論調とする膨大な量の新聞、雑誌が出版され、グートマンの冷静で公平な立場(たとえば、日本の北樺太保障占領は批判している)は受け入れられなかったようだ。そして、日本の敗戦後は何度も述べたように左翼歴史学者の陰謀で尼港事件自体が隠蔽されたので、この労作の存在は忘れ去られていた。
しかし、ようやく二〇二〇年(令和2)に日本語訳が出版された。『ニコラエフスクの日本人虐殺 一九二〇年、尼港事件の真実』(アナトーリー・グートマン著 長勢了治訳 勉誠出版刊)である。問題の部分は、次のように書き出されている。
〈トリャピーツインは日本軍の出撃を挑発することにした…。〉
(文中敬称略。第1450回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年4月11日号