涙ながらに話す尼僧の叡敦(えいちょう)さん
「神仏もないのか、という気持ち」
では“起訴”した宗務総長は叡敦さんの意思をくみ取って、不服申し立てをする意思はあるのか。この問いに宗務総長側は「現在不服申立期間中につき、申し立てをする、しないはお答えできませんが」と前置きしつつ、「審理決定書の内容を尊重する所存です」と答え、これで終わりにする気配が色濃い。
また、A氏が、他の寺を含め、信者と接する別の寺で勤務する予定はあるのかとの問いについては、「御本人が決められること」という回答だった。天台宗宗務庁総務課は、特定の寺の住職になるにはこの寺と関係の深い複数の寺の住職らの推薦を受けなければその地位を認められないルールがあり、本人の意思だけでも決められず、ましてや天台宗務庁が決めることではない、とまるで他人事のような説明をする。
ただ、ことは天台宗という伝統宗教で起きた日本の宗教界を揺るがすスキャンダルである。ただでさえ宗教はハラスメントが起きやすいプラットフォームで、僧侶や神父といった聖職者は、心に安寧を求める信者に対してたやすく支配権を握りうる。調査をしようにも、閉じた教団内の論理に流されやすく、あえてこれと切り離した調査プロセスによって検証が行われなければ、再発防止はおぼつかない。
第三者委員会を立ち上げるつもりはないのか、記者会見などで改めて認定事実を説明するつもりはないのかと重ねて質問すると、天台宗務庁総務課は、「今の段階では、予定はありません」と繰り返した。
会見で、仏教への信仰はまだお持ちかと問われた叡敦さんは「今回の処分を聞いて、全く手を合わせることができなくなりました。神仏もないのか、という気持ちでいっぱいです」と語った。
天台宗の対応が、あらためて問われる。
■取材・文/広野真嗣(ノンフィクション作家)