現代美術家・松山智一氏
『Catharsis Metanoia』(2024)
大けがで夢を断念
そこで強烈なカルチャーショックを受ける。
「日本とはまったく違う環境でした。松山家はアメリカでは貯金を切り崩す慎ましい生活です。自転車は高価で、買ってもらえたのは安いスケートボード。スケボーをやるのは僕と同じように決して裕福とは言えない移民が多かった。スケボー文化を通して国籍や肌の色は関係なく、同じような家庭環境の子らと仲良くなりました」
日本に帰国したのは3年半後、中学生の時だ。
「すっかりアメリカナイズされていた僕はハーフパンツ姿でスケボーを小脇に抱えていた。ですが飛騨高山の中学生は全員丸坊主(笑)。母国なのに、ここでも大きなカルチャーショックを受けた」
拠り所となったのは、やはりスケボーだった。
「飛騨高山は雪国です。ボードつながりで今度はスノーボードにのめり込みました」
スノーボーダーとしてスポンサーがつくまでに成長したが、競技中の事故で10か月近く競技を離れる生活が続いた。
「病院の天井を見ながら将来について考えました。当時はマイナースポーツでしたしね。スケボーやスノボの両面には、様々なデザインが描かれています。これも個人のアイデンティティを表わす記号です。自分はこういうものを作っていきたいのではないかと思い至った。完全な素人でしたが、ニューヨークにある美術大学院のデザイン科で学ぶことにしたのです」