友人たちはそれぞれ家に帰ってから、「今日、学校でこんなことがあった」と家族に話し、答え合わせは済んだはずだ。間違っていたのは、こっちのほうだった、と。
なのに私を含めて誰一人、再びこの話題を持ち出すことはなかった。都合の悪い事実はなかったことにする。これもドラゴンズから学んだ教訓だ。ただみんな心の中では、A君に“ゴメンナサイ”と謝っていたと思う。
ちなみにA君はその後、大阪大学に進学するのだが、受験が終わった頃に近所のおばちゃんに大学名を訊かれて、「大阪大学です」と答えたら、「そうか、名古屋大学は落ちちゃったんだねー」と気の毒そうに言われたそうだ。もっとも、A君は大学卒業後に中京圏の金ピカ企業・中部電力に就職するのだが。
名古屋こそ「ニッポンの真ん中」という意識
名古屋にはドナルド・トランプなんていらない。MNGA(メーク・ナゴヤ・グレート・アゲイン)なんて言わなくても、どこかで「ナゴヤ・アズ・ナンバー・ワン」との意識が働いているからだ。
だって、首都圏のスイカ(Suica)に当たる中京圏の交通系ICカード「マナカ(manaca)」は、「真ん中」が語源。中部国際空港の愛称「セントレア」も、中部地方をセントラルと呼ぶことに由来している。名古屋人はどっかで自分たちを「真ん中」だと思っている。すんごい自意識だ。
この「真ん中」意識の源流は何かと問えば、名古屋「三英傑」だ。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康だ。全国統一されたニッポンの祖はこの3人で、濃尾平野こそがニッポン人の揺籃であると、中京地方の人々はどこかで思っている。
だから戦後の総理大臣がいくら東京、群馬、山口から多く輩出されているとしても、名古屋人のプライドは痛くも痒くもないのだ。
愛知出身で戦後初めて総理になったのは、あの小沢一郎氏(元民主党代表)が絶大な権力を持っていた自民党幹事長時代に「神輿は軽くてパーがいい」とバカにした(といわれる)海部俊樹氏だ。外交という面では端倪すべからざる面を持った総理大臣だったと私は評価しているが、これも「名古屋枠」として軽視されてしまっているのだろう。
当然、野球に関しても強い「真ん中」意識がある。
「甲子園で最も多く優勝した高校はどこでしょう?」
名古屋人が心の中でほくそ笑む瞬間だ。
答えは、中京高校(現中京大中京)だ。春夏合わせて、実に11回。
PL学園でもなければ、大阪桐蔭でも広島商業でも松山商業でもない。ハンカチ王子の早稲田実業とか、やまびこ打線の池田高校なんて論外だ。