ただし、「最も衝撃的だった選手は?」と訊かれたら、私は迷わずウィリー・デービス選手と答える。忘れられないのが、流行語にもなった「デービス走った!」だ。
1977年、ナゴヤ球場での巨人戦。7回裏2死満塁の場面で打席に立ったデービスは、ランニングホームランをやってのけるのである。
子供の野球モドキの試合では、外野がエラーすればランニングホームランになる。フェンスオーバーのホームランよりランニングホームランのほうが圧倒的に多いのだが、プロ野球で見たことはなかった。
大人が、それもプロが、ランニングホームランをやってのけたのだ。バンテリンドームならいざ知らず、あの狭かったナゴヤ球場で。しかもホームに滑り込むこともなく。
「小さなデービス」があちこちの小学校に
この快挙でたちまち英雄になったデービスは、少年ドラファンたちの憧れの的となった。学校では、「一塁から二塁までたったの5歩だった」「ちがうて、4歩だったてー」と会話が飛び交い、伝説が日々脚色され続けた。
デービスの来日当初の触れ込みは、俊足で好守。足が速くて守備がうまい外野手といえば平野謙選手や英智(説田英智)選手など、誇るべきメンバーがサッと頭に浮かぶが、デービスはさまざまな点で規格外だった。メジャーリーガーの迫力を生で見せつけてくれたアスリートでもあった。
ただ私は、ランニングホームランの場面を、ぼんやりとしか覚えていない。有名になった「デービス走った!」のフレーズも、ライブで聞いたものなのか定かではない。
いや、“デービスって本当にいたのか?”とさえ思う。ワガママも規格外だったらしく、球団やチームメートと衝突を重ね、ほんの一瞬で幻のように消えてしまったからだ。
ただ、当時の小学校では、日焼けしたワイルドなクラスメートは必ず「デービス」と呼ばれ、彼らが体育の時間に走ると、皆が「デービス走った!」と大合唱していた。そんな奇妙な現象が起きていたので、デービスは確かに在籍していたのだろう。ワイルドなクラスメートはたいてい足が速かったから、運動会の応援でも盛り上がった。
こんな現象が私の通った小学校だけで起きていたとは考えにくい。ならば、少なくとも中京圏の小学校で「小さなデービス」がたくさん生まれていたことになる。
爪痕はしっかり残した助っ人だ。
大人の事情はよく分からなかったが、人間関係が原因でチームから追い出されるということを、初めてぼんやり考えるきっかけをくれたのもデービスとドラゴンズだ。