日米通算200勝を前に渋みが続く田中
日米通算200勝を目前に足踏みしている巨人・田中将大(36)。二軍で再調整中の4月25日にはイースタンリーグの日本ハム戦で2回を無失点に抑え、5月1日の広島カープ戦での一軍復帰と日米通算199勝目に期待がかかる。そんな田中について、“投手・田中将大の生みの親”である中学時代の恩師がエールを贈った。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。(文中敬称略)
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ハンカチ王子こと斎藤佑樹を擁した早稲田実業に夏の甲子園3連覇を阻止された日からおよそ1か月────。2006年の9月25日、田中は東北楽天から1位指名を受けた。駒大苫小牧高校の応接室で田中をインタビューしたのはその翌日だった。
「僕は常に後悔だけはしないようにベストを尽くしてきましたし、それをプロでも続けたい。将来は200勝できるような息の長い選手になりたい」
あれから19年────日米で快投を続けてきたマー君も36歳になった。巨人を新天地とした今季、初登板の中日戦で通算198勝目をあげた。しかし、2度目の先発登板となった横浜DeNA戦で2回6失点を喫して二軍落ち。大願まであと2勝に迫るなか、足踏みだ。
「高校野球を終えた将大が、うちのグラウンドで自主トレを行っていた時に、私は1年目から10勝はするだろうと確信していました(実際は11勝で新人王)。それが間もなく200勝ですか……将大の野球人生に携わったひとりとして、ぜひ達成することを願っています」
そうエールを贈るのは田中が中学時代に所属した宝塚ボーイズ(現在、チームは解散)の監督だった奥村幸治だ。
田中は昆陽里小学校の学童チームで現・巨人の坂本勇人とチームメイトだったことは有名な話だろう。当時は坂本が投手、田中が捕手だった。
「あの頃、関西では坂本や前田健太(現・デトロイトタイガース)が有名で、運動能力の高さから将来はプロに行くだろうと当時から言われていました。一方の将大は身体こそ大きいものの、どこかどんくさいところがあった。将大がプロ野球選手になると思っていた人はひとりもいなかったんじゃないかな」