2015年10月、ある少女の死がスペイン中を論争に巻き込んだ。弱冠12歳の彼女は、「自己決定」を下せない難病を背負い、両親の「選択」によって、旅立ちを迎えた。安楽死を巡って家族や病院、さらには裁判所の意見や裁定が衝突したこの事件は、それから1年を経た現在も、家族に深い傷跡を残していた。(取材・文/宮下洋一=ジャーナリスト)
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新聞記者たちは、いつも昔の出来事を持ち出そうとしますが、あなたがたの要求は、とても辛い過去を私に語らせることだと理解してください。その報道が、当時の苦しかった日々、眠れなかった日々を思い出させるのです。
私の取材依頼に対し、少女の父、アントニオ・ラゴ(35)からはこんなメッセージがもたらされた。
2015年10月、難病を背負った12歳の未成年者の選択がスペイン全土を揺るがした。サンティアゴ大学病院前に立つ少女の両親が、毎日、マイクを前に姿を現し、虚ろな表情を浮かべていたのを思い出す。不幸な少女、アンドレア・ラゴ・オルドニェスは、神経性の不治の難病を幼児期に患い、死亡する4か月前に容態のさらなる悪化で同大学病院に緊急入院した。その後、後述する騒動を経て、少女に取り付けられていた胃ろうが外され、「セデーション(緩和的鎮静)」で死に至ったのだった。
少女の両親は、娘の死後、忽然と姿を消していた。私は10月、この地方を訪れていた際、少女の一周忌を報じた記事を偶然見つけた。内容に目を通す限り、両親は、後に離婚。その理由については述べられてはいないが、やや複雑であるようだった。
その後、私はなんとか父親の携帯番号を入手したが、反応は冒頭の通りだ。彼らには葛藤があったに違いなく、娘の問題で離婚したとしても、仕方がなかったのかもしれない。既に離婚を経験している私が責めるつもりはない。
11月4日、私は再びガリシア地方に向かった。少女の母親、エステラ・オルドニェス(33)に会うためである。彼女には知り合いの記者経由で、取材の内諾を得ていた。エステラの家は、石造りの3階建ての2階。玄関には、ピンクのパーカーを着たエステラが、私の訪問を待っていた。現在、エステラは、8歳の次女クラウディア、長男アントンの2人と共に生活する。前年までは、ここに長女と夫の姿もあった。つまりエステラは、長女と夫の2人をほぼ同時に失ったのだ。