両親の力を借りながら子育てに励んだエステラは、エステティシャンの仕事を断念し、娘の介護に全霊を捧げる。父アントニオは、飲食店を経営していた。一家の生活を支えるため、家に帰るのは決まって深夜になった。
「彼は、家に帰ってアンドレアの世話をすることは、ほぼなかったけど、病院に連れて行くのは必ず彼でした」
すでに別れた夫について、多くの不満もこぼしていたエステラだが、障害者だったアンドレアを「血の繋がった親以上に愛していたと思う」と話す。
当初は、短命と言われたアンドレアが、10歳を超えたこと自体、奇跡だった。時には、「このまま何十年も生きられるのではないか」という期待さえ抱いた。だが、2015年6月、いつも通り、午前3時に体の向きを変えようと、娘の寝室を覗き込むと、真っ赤な血が、シーツ全体をびっしょりと染めていた。
「アンドレア、アンドレア!」
久しぶりに映画を観に行った夜に起きた出来事で、エステラはソファでうつらうつらしていた。万が一、寝過ごしていたら、娘がそのまま死に至っていた。彼女は自らが取った冷静な行動に対し、こう語り、私を困惑させた。
「あの時、私がアンドレアをあんなにも冷静な判断で対応し、病院に運んでさえいなかったら、自宅のベッドで死んだことでしょう。私は後に、ソファで眠り惚けていたほうが良かったのではないかと後悔することになりました」
娘を救わなかったほうが良かった?
「ええ、アンドレアは、その年の10月ではなくて、6月に死ぬべきだったんです。なぜなら、病院に行ったことで、彼女への拷問が始まったからよ」