「中村屋のボース」
私がこの『逆説の日本史』を書き出したころは、「支那事変」という歴史用語も使わない歴史学者が多かった。これは実態としては日中戦争であり、それは間違いの無いところなのだが、当時の軍部はそれを「事変」(偶発的な軍事衝突)と言ってごまかしていたことも事実なのである。もちろん陸軍にも言いぶんがあって、「正式な宣戦布告をしていないから戦争では無い」というものだった。
これは大日本帝国とソビエト連邦の正面切っての軍事衝突であり、相手方では「ハルハ河戦争」と呼んでいるものを「ノモンハン事件」などとごまかす態度にも通じている。だから歴史上の事実だった陸軍のいい加減な姿勢をあきらかにするためにも、当時彼らが使用していた用語をまず使うべきなのである。批評、批判はその後の話だ。
第一、当初から「日中戦争」と言ってしまえば、それを「支那事変」と呼んでいた陸軍の無責任さが消えてしまうではないか。歴史上の出来事を正確に記録して知らしめるのが歴史学者の使命であるはずだ。
しかるに、この「大東亜戦争」についても一部の学者は「アジア太平洋戦争」と呼ぶべきだなどと主張している。歴史とは当時の人間が自分たちの行為をなんと呼んでいたか正確に調べあげ、それを記録することから始まる。大東亜戦争という用語を「言葉狩り」したところで、なんの意味も無い。それどころか、歴史の正確な分析にはきわめて有害である。また、そういう行為をするということは日本陸軍がまさに大東亜戦争のさ中に「敵性語追放」と称し、英語を使わせなかった愚行と同じではないか。
これは私のノンフィクション第一作である『言霊』(祥伝社刊)で詳細に述べておいたが、当時の陸軍は女性の「パーマ」や野球の「ストライク・ワン」が、いま戦っている英米の言葉(英語)であるから「敵性語」だと決めつけ、これらの英語を「電髪」「よし一本」などと強制的に言い換えさせた。これは当時大々的に行なわれた歴史上の事実であるにもかかわらず、まだまだ知らない日本人がいる。
これは日本人固有の言霊信仰に基づくもので、言葉と実体はリンクしているから言葉を消せば実体も消える。日本が英米と戦っても勝てないというシミュレーションや言説は、取り締まればその結果英米に勝てる、という迷信に基づくものだ。その第一歩として、陸軍は「英語は使わせない(言い換えさせる)」という愚行を国民に強制したのだ。
つまり、「大東亜戦争とは日本の侵略を正当化する用語」だから「アジア太平洋戦争」に言い換えるべきだ、などと主張する歴史学者は、じつは自分たちが批判してやまない陸軍と同じ愚行を繰り返しているわけだ。まさに「歴史を知らない」からそういうことが起こるのである。