ここで述べられている桃崎氏の結論に、私は全面的に賛成する。それならばなんの問題も無いではないかと思われるかもしれないが、次に私が『逆説の日本史 第一巻 古代黎明編』で記した文章の一部を引用したい。論点をあきらかにするため、これも煩をいとわず引用する。
〈ここで注意しておきたいのは、「邪馬台」というヒミコの君臨した国の名前である。
これまで特別に読み仮名をふらなかったが、この「邪馬台」を「ヤマタイ」と読むのは、本当はおかしい。間違いであるとすら言える。
なぜか、「ヤマタイ」という読み方は、現代日本語の読み方だからだ。
この「邪馬台」という表記、一体どうして生まれたのか。
紀元前三世紀に大陸へ渡ったヒミコの使者が、魏の人間に「おまえの国の名は?」と問われ、「○○です」と答えた。
その「○○」を、魏の人間が、つまり当時の中国人が当て字で記載したのが「邪馬台」である。
ということは、当時の中国語の発音で、この字を読んでもらい、それに最も近い日本語の音をあてはめる、という作業をしなければいけない。
私は日本人と中国人の古代音の研究者に、このことを依頼した。
中国語は日本語よりも音韻が豊富だから、残念ながらこの結果を文字(日本語)では書けない。
不正確なのを承知でカタカナで書くと、少なくとも「ヤマタイ」ではない。
「タイ」は濁音になる。
「ヤマダイ」か「ヤマダ」(イがほとんど聞こえない)であり、私のひいき目(耳?)かもしれないが、「ヤマド」と聞こえないこともない。
もし「ヤマド」なら「ヤマト」とは 極めて近いことになる。〉
なにが問題なのか、もうおわかりだろう。この作品はいまから三十年以上前の一九九三年(平成5)に刊行されている。つまり、桃崎氏の言う〈邪馬台国論争を解決から遠ざけてきた最大の誤りは、「邪馬台国」を「ヤマタイ」国と読んできたこと〉で、〈我々は、「ヤマタイ国論争」とは訣別せねばならない〉のは「お説のとおり」なのだが、このことは三十年以上も前から私が繰り返し主張していることであり、「画期的新説」でも「まったく新しい角度」でも無い、ということなのだ。
念のためここでお断りしておくが、今号のこの文章は桃崎氏に対しての論難でも無いし、『文藝春秋』編集部に対しての抗議でも無い。もちろん、今後は正確に事実を記載してもらいたいとは思うが、問題はもっと別のところにある。
まず述べておきたいのは、桃崎有一郎という人物はきわめて優秀な歴史学者である、ということである。前々からその著作には注目していたし、何冊か読んでもいる。とくに評価すべきは、歴史学者には珍しく自分の専門分野にこだわらず、広く歴史全体を見ようという姿勢のあることだ。これは私が常々目標にしていることでもある。私は歴史学者では無いが、歴史家と名乗っているのはそれが理由でもある。だから問題は、それほど優秀な歴史学者が、そしてそれをサポートする歴史に造詣の深い天下の『文藝春秋』が、なぜこんな初歩的なミスを犯したのか? というところにある。