桃崎氏も文春も「被害者」
若い読者なら、こう思うのではないか。「中国語の発音が日本語で正確に表記できないなら、YouTubeのような動画で検証すべきではないか。それなら音声資料として誰もが聞ける」。前出の第一巻を執筆する以前、三十数年前の私もそう考えた。だが、当時はYouTubeどころかX(旧ツイッター)などのSNSも無い。一介のフリーライターに中国古音の研究者を探すことも、ましてやそれを動画に撮り広く公開するなどほとんど不可能であった。
しかしちょうど渡りに船だったのだが、あるテレビ番組から邪馬台国の特集をしたいという申し入れがあったため、私はそうした研究者を探し出して直接インタビューしてみたいと希望したところ、了承された。つまり、ネイティブの中国人研究者が「『ダ』と『ドゥ』の中間」のような発音で「邪馬台」を読む場面は、じつはその番組の一場面として地上波(当時はこの言葉も無かったが)で放映されているのだ。
あまりに昔のことなのでもはや番組名も忘れてしまったが、視聴率も一〇パーセント以上取ったと記憶しているから、少なくとも十数万人の日本人がその発音を耳で聞いているはずなのである。もちろん、そのなかには歴史学者や大学の歴史学科に所属している学者の卵も大勢いたはずだ。
ここで、なにが最大の問題であるかがおわかりになったと思う。
じつは、桃崎有一郎氏も『文藝春秋』も「被害者」なのである。もし歴史学界の人々が私の提起した問題を「まさにそのとおりだ」と真摯に受け止めて学説に取り入れていたら、それから三十年以上たって「ヤマタイでは無く、ヤマトだ」が「画期的新説」などと銘打って発表されることは無かったはずだ。誰もがそんな「ミス」を犯すはずは無かった。だが実際には、歴史学界は私の説を受け入れなかった。では、なぜそうしなかったのか?
世に「コロンブスの卵」という「諺(?)」があるが、このことは本来なら「誰が気づいても不思議は無い」ことである。そして私はテレビの力を借りて歴史の研究に有用なはずの音声資料を提供した。にもかかわらず、歴史学界の人々はそれを無視したのである。いや、無視どころか侮蔑し排除しようとした。
歴史学者のなかには露骨に私に向かって「素人は引っ込んでいろ」という類いの批判を口にする人間がいるのを、本連載の愛読者ならばよくご存じだろう。傲慢で排他的、そして独善的。歴史学界の人々というのは、そういった人間がじつに多い。要するに、素人に画期的な発見をされたと思いたくないのだろう。だが素人であれ玄人であれ、新発見は新発見だ。
少なくとも私は研究の一助になる音声資料を提供したのだから、たとえ私の主張を認めないにしても、資料の提供に関しては礼を言うのが人間としての筋ではないだろうか。しかし、三十数年にわたり私はその件に関して歴史学界の人間から礼を言ってもらったことはただの一度も無い。
また、これも私が何十年も前から述べていることだが、「飛鳥時代」と「安土桃山時代」という時代区分は、きわめて問題だ。いわゆる「飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸」という区分は日本を実質的に支配していた政権の所在地による分類だが、この呼び方だと「飛鳥」という場所に政権の所在地(首都)が固定されていたように思える。