しかし、文字どおり「ハシゴを外された」形のバボージャブは怒り狂った。軍の意向を受けた川島浪速の説得でしぶしぶ内モンゴルに引き揚げることになったが、それを知った張作霖はここぞとばかり追撃した。この際、バボージャブ軍に決定的な打撃を与えようとしたのだ。そしてその目論見は成功した。内モンゴルの入口にある林西の攻防戦で、バボージャブは機銃掃射を浴びて戦死した。享年四十二だった。

 この状況だが、私は無謀な攻撃だったと思う。百戦錬磨の彼にしては相応しく無く、わざわざ機銃の的になりに行ったように見える。前途を悲観しての絶望的な突撃か、そこまでいかなくても日本軍の手のひら返しに激怒し、冷静さを欠いていたのかもしれない。いずれにせよ、絶対的なリーダーの死によってバボージャブ軍は解体・消滅した。

 日本人も彼の戦死に対して、なにかしらの後ろめたさを感じていたふしはある。彼の三人の遺児は、いずれも日本に引き取られ教育を受けたからだ。

 以前、川島浪速と粛親王善耆の深い交流を述べたとき、善耆の娘が川島の養女となり日本名「川島芳子」として活動したことを紹介した。そして人名事典から彼女の経歴について「バボージャブの次男ガンジュールジャブ(1903~1968)と結婚したがほどなく離婚」を引用した際、私が「川島芳子の夫となったバボージャブの次男ガンジュールジャブや父バボージャブのことも気になるかもしれないが、これは後ほど語らせていただく」と書いたことを覚えておられるだろうか。

 この一行の背景を解説するためには、これだけの紙数を必要とした。川島が手塩にかけて育てた芳子の婿になぜバボージャブの次男を選んだのか、川島にはバボージャブを見捨てたという後ろめたさがあり、一方ガンジュールジャブには養育してくれた恩はあるにせよ、父を見捨てた日本への憎しみがあったのだろう。だから結婚はうまくいかなかった。

 このバボージャブへの「手のひら返し」、じつは後で大きなツケになって回ってくる。

(第1430回に続く)

【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。

※週刊ポスト2024年9月20・27日号

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