あえて繰り返すまでも無いだろう、中国が向かおうとしていた近代化路線を妨害した極悪人で、日本人にとっては不倶戴天の敵である。中国の民主体制を確立しようとした宋教仁を暗殺し、自ら皇帝になろうとした野蛮人でもある。しかしここが肝心だが、その「極悪人にして野蛮人」の袁世凱ですら「清皇帝一家皆殺し」はやっていないのである。
もちろん、それは袁世凱がとくに寛大だったわけでは無く、さまざまな理由があったことはすでに述べたとおりだ。しかし、どんな事情があったにせよ袁世凱は「清皇帝一家皆殺し」をやっていないのに、ロシア共産党は皇帝一家を幼子に至るまで皆殺しにした。しかも正式な裁判もせずに、だ。国王夫妻をギロチンにかけたフランス革命ですら形式的な裁判はあったのに、である。
おわかりだろう。当時の日本人がロシア革命、いやその革命を実行したロシア共産党をどう思ったか? あの袁世凱ですらやらないことをやった、「野蛮にして極悪な組織」ということである。前回述べたように、革命軍はその旗印が赤色であったことに基づき「赤軍」と呼ばれたのだが、そこから日本では共産主義者に対する蔑称として「アカ」という言葉が生まれた。「アカは極悪人」「アカは撲滅すべき」という思いが、日本人の共通信条となってしまった。
日本人にも共産主義に共鳴した人間はいた。当時の世界は欧米列強によるアジア・アフリカに対する植民地化が進んでおり、それは自由や平等という人類の普遍的価値を犯すものであった。ではなぜそうなったかと言えば、資本主義が発展すると侵略を肯定する帝国主義になってしまうからだ。
もともと経済学者であったカール・マルクスは、資本主義を捨てて新しい経済体制すなわち共産主義体制を構築しない限り、こうした「悪」は根絶できないと考えた。マルクスは理論を述べたにすぎないが、それを実践し実際にそうした国家を建国したのが革命家ウラジーミル・レーニンである。彼が建国したソビエト連邦は、最終的には自由を弾圧し周辺の国をまさに「帝国主義的」に侵略する、とんでもない国家になってしまいわずか六十九年で滅亡したが、そんな未来を当時予測した者は一人もいない。
「ソビエトの悪」を初めて大々的に告発した風刺小説『アニマル・ファーム』がイギリス人作家ジョージ・オーウェルによって書かれたのは一九四五年、つまり第二次世界大戦が終了した年の話である。一九一七年当時のヨーロッパやアメリカでは、とくに現状を変えなければいけないと考える正義感の強い若者にとってレーニンは憧れの的であり、ソビエトは理想の国家だったのだ。
もちろん欧米列強でも社会の主流は保守的な大人であり、そうした人々はブルジョアジーつまり資本家を敵視する共産主義に強い反感を持ち、ソビエト連邦もなんとか潰そうとした。しかし、いま述べたような状況があり、必ずしも欧米列強は一致団結してソビエト潰しに走ったわけでは無い。それに「味方」する人々も少なからずいたからだ。
しかし、日本の場合はまったく事情が違ったこともおわかりだろう。日本はもともと帝国主義に餌食にされる側のアジアの一員でありながら、西洋近代化を奇跡的に成功させ最終的には「帝国主義国家群に参入」できた。そのことで国民も豊かな暮らしができるようになった。それは天皇という存在があってこそだ。
大日本帝国憲法がそう定めたから天皇は国家の「核」となったのでは無い。憲法は幕末から明治にかけて成立していた「天皇教」を追認したに過ぎない。ということは、いかに共産主義者が帝国主義の悪を説き、それを変革するには共産主義しかないと主張しても、日本ではロシア共産党は「皇帝一家を裁判無しに皆殺しする」ような野蛮な組織ではないか、そんな連中の言葉に耳を貸す必要は無い、ということになってしまう。
別の角度から言えば、日本と他の「帝国主義グループの欧米列強」との間には、史上初の共産主義国家ソビエト連邦への反感について、かなり温度差があったということだ。日本は他の列強と違ってソビエトに対する反感がきわめて強かったということである。