しかし、いくら東国、もっと具体的に言えば東北や上越や北陸で稲作ができると言っても、それは夏の一時の暑さを利用したバクチのようなもので、ちょっとでも冷夏になれば凶作になる恐れがある。この時点で東国の民は西国に対して大きなハンデを背負わされたのである。稲作競争においては温暖な西国のほうが絶対有利だからだ。コメ万能の世界では「東北は貧しい」ということにもなる。西国の「官軍」が東北を攻めた戊辰戦争でも、官軍の連中が「白河以北一山百文」と嘲笑したのも、こうした意識が背景にある。
収穫量だけの話では無い、コメ自体の味も西国のほうがはるかに上だった。「早生と晩生」という言葉をご存じだろうか? 筆者は早稲田大学の出身だが、ミカンやリンゴでは無くイネの場合は「早稲」と書く。栽培期間が短く早く収穫できるイネの品種を総称してこう呼ぶ。北陸、東北地方のイネはすべてと言っていいほど早稲であった。西国ではほとんど心配いらないが、東国ではダラダラ栽培していると冷害に襲われる危険性があるからだ。
ところが、一昔前までの農業では「早生は不味い」というのが常識であった。栽培期間が長く地中の栄養分をたっぷり取り入れることのできる晩生にくらべて早生が不味いのは理の当然だ。晩生の典型的な作物である朝鮮人参は、何年もかけて地中の養分を吸い上げるではないか。つまり米騒動が始まった北陸の富山県でも波及した新潟県でも栽培されているのは早稲で、言わば不味いコメであったということなのだ。
当時コメは自由価格だから、不味いコメは当然ながら安い。つまり、米騒動はひょっとしたら日本で一番コメが安かったかもしれない富山や新潟で起こったということだ。だから問題は深刻なのである。現在、東北や上越や北陸はコメが豊富に穫れる地域であって「米どころ」などという言葉もある。新潟県は典型的な「米どころ」で、味がよいと評判のコシヒカリの主産地でもある。コメの本場と言えば西国の九州、四国では無く、東国のそれも関東以北の東北、上越、北陸地方だが、それは現代の常識であって大正時代はまったく反対だったということをまず頭に入れておく必要がある。