英政さんが用意した“手紙”では、ある意味で水原被告の全ての始まりとなったアメリカ生活についても触れられている。以下、資料から抜粋する。
《当時、一平は英語を全く話せなかったので、彼が文化に順応し、新しい言語を学ぶことがどれほど大変だったかは想像に難くありません。また、幼少期には差別や人種差別にも直面しましたが、一平は強く生き抜き、戦い抜きました》
水原被告の心優しい素顔も明かされた。
《まず一平はとても親切な人間で、特に家族や友人に対して親切です。2000年代の頭ごろ、一平が初めて本格的な仕事に就いたとき、初めての給料で最初にしたことのひとつが、私たちに立派な薄型テレビを買ってくれたことでした。
同じころ、私たち家族の友人であるCさん(仮名)が甲状腺の手術を受けたときは、一平はその全過程で通訳を務め、Cさんは英語があまり得意でなかったため、数日間、一緒に病院で過ごしました》
大谷の“相棒”として多忙な日々を過ごすなかでも、家族を気づかっていたという。