ソックスの色を校則で指定する理由は?(イメージ)
理不尽な校則はなぜ無くならない
彼女の住む東海地方、とくに愛知県はそれこそ半世紀前から悪名高き「管理教育」で知られた。私が生まれ育った千葉県も地獄の管理教育で知られ「西の愛知、東の千葉」と呼ばれた。この呼称は1980年代に出版された鎌田慧『教育工場の子どもたち』(岩波書店)など当時のルポルタージュでも言及されているが、これもまた難しい話で東海地方出身のベテラン編集者曰く「愛知県内でも三河地方が厳しく、名古屋市内の中学はそれほどでもなかった」とのことで、筆者も千葉県で「全然自由だったよ」という声も知っている。
ただし筆者の生まれ育った千葉県の「東葛地域」(柏、松戸、野田、流山、我孫子、鎌ケ谷)の同世代でそんなことを言う人は多くない。とくに中学は暴力あたりまえで軍隊顔負けの炎天下行進や鉄拳制裁、運動会の練習で女子がバタバタ倒れる「異常」な中学であった。どうやら元軍人の教育者がかつてこの地域で絶大な力を持っていたらしく、同じく当時の元軍人の校長による仕業の影響がずっと筆者の中学で続いていたようだ。保守王国でもあった。
ちなみに筆者は文芸に絡んで野田市の高齢の著述家や俳人に知り合いが多い。彼らの一部は元教師だったりするので当時の話をするとすごく嫌がる。チクチク言ってやると「そういう時代だったんだよ~」と笑って誤魔化すが彼らに限らず人の過去などその程度である。声なき自殺者もいたはずなのに。
「そこまでではないですけど、やっぱり真冬に生足でいろとか理不尽な校則は残っています。なぜ無くならないのでしょうか」
もちろん「声を上げないから」に他ならないし「声を上げても潰される」からでもある。内申点は今も昔も人質である。推薦方式の多様化や指定校制度の拡大がさらに拍車をかけている。また生徒にしても3年で「卒業」するから「まあ我慢するか」という人もあろう。教師側の都合としての上も自分も「どうせ異動するし」もまたあるかもしれない。教師にだって「声を上げても潰される」はある。
こうして「真冬にタイツを履いてはならない」「それはなぜか」にまで至らない。至っても、おおかた時間切れである。そういう地域や学校がいまだに存在している。
この女子中学生は県下のナンバースクールを目指している。すでに私立高校も合格しているが、どちらも地元では名門校だ。
「どっちも自由な校風です。だからとても楽しみです」