ラーメン修行時代は過酷な生活を送っていた
「昭島市で自分の店をやっていたときは毎朝5時起き。すぐに、スープが入った70リッター寸胴に火をかけ、ネギやチャーシューを切って……。11時に開店したらアルバイト1人に入ってもらいますが、作るのは全部僕1人。ランチとディナーの間にいったん店を閉めて3時間ほど休みますが、夜は10時に閉めて、それから片付けて寝るのは12時という毎日でした」
当時は店の2階が住居兼スタジオ。移動に時間を取られないとはいえ、そんな生活を6年近く続けていた。
「独立前の修行のときはもっとキツかったです。昼間は音楽活動でリハーサルをしたり、取材を受けたりして店に出られないので、深夜枠で店に入って厨房でラーメンを作っていました。
夜8時から翌朝3時まで働いて5時に帰る、という生活をしていましたから。いつの間にか自律神経に変調が起きてしまって、わけもなく涙が出てきたり、バイクで帰宅途中に走りながらワーッて叫んだり……」