幼い頃から心も体も救われてきた母親
母親を大切にするのには理由があった。大手企業のエンジニアから独立した父親の事業が不運から頓挫し、東野さんが小学校5年生のとき、家族は住む家を追われた。母親は九州男児の父親の荒っぽさにも苦労していたという。
「それでも明るい母親に家族は救われました。楽をさせてあげたくて、上京してからずっと仕送りを続けていました。印税がドンと入ってきたときは、家族を長崎のハウステンボスに連れて行って、最上位のホテルヨーロッパに連泊し180万円。僕は酒を飲まないのに、友人数人を飲みに連れていき一晩で20~30万円使ったりもしました。今では考えられませんね(笑)」
さらに印税を手にした東野さんは、ファーストクラスでロサンゼルスやニューヨークへ飛び、マリオットホテルのスイートルームに宿泊し、当時はまだ来日公演のなかったアーティスト──ビリー・ジョエル、ホイットニー・ヒューストン、キッス、フランク・シナトラ、ベット・ミドラーらの公演を現地で聴いたという。
「次の年に税金がドンと課せられるとわかっていなかったんです。分納させてもらいました(笑)」