プレッシャーに苦しんだ時代もあった
ラーメン店で修業の道を選んだワケ
『君は僕の勇気』の後はヒット曲を生まなければ、というプレッシャーも大きかった。
「同じ事務所にいた先輩のチャゲ&飛鳥(現:CHAGE and ASKA)さんは200万枚なんて数字を出していましたから。CDの売れ行きが落ちると、僕なんかはラジオ局へ行っても楽屋じゃなくてロビーで待たされ……、どんどん待遇が悪くなっていきましたね」
さらに、2000年代に入ると業界全体でCDが売れなくなり、東野さんもその煽りを受けた。
「じゃあライブをがんばろう、と思ったら、僕のファンの方たちは結婚や出産、子育ての時期に入りライブに来られなくなってしまった。どうしよう、このままオレはどうなっていくんだろう……と追い込まれていきました」
そうした経緯もあり、デビューから15年後の2008年、当時所属していた事務所の近所にあった東京・目黒の人気ラーメン店「支那ソバ かづ屋」で修業を始めた、というわけだ。