デビュー前の時代
赤坂泰彦がいちリスナーだった頃
幼い頃からラジオがそばにありました。家の中ではいつもラジオが流れていて、「あ、この番組が始まったから、もう学校に行かなくちゃ」というように、時報がわりになっていました。
小学校高学年になると、父親が僕に専用のラジオをプレゼントしてくれて、それからは自分で好きな番組を聴きまくっていました。当時、若者の間で人気だった三大ラジオ番組『セイ!ヤング』(文化放送)、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)、『パックインミュージック』(TBSラジオ)はもちろん、かぜ耕士さんの『たむたむたいむ』『あおい君と佐藤クン』(ともにニッポン放送)、糸居五郎さんの番組など……。
夜中12~1時は勝負ですよ。眠気が襲ってきますから。睡魔とたたかいながら「あと少し」「もう1曲」と聴いていると、『オールナイトニッポン』では第2部が始まって、稲川淳二さんがしゃべり始める。最初は「誰?」と思いながら聞いていたのですが、稲川さんってしゃべりが止まらない。それで、「あんた、おもしろいから応援してやるよ」なんて上から目線で投稿したらハガキが読まれて……! 興奮して走り回りたい気分になって、布団の中で足をバタバタ動かして走りました(笑)。
それが初めて読まれた投稿だったかもしれません。多くのリスナーと同じように、僕も読まれるとすごく嬉しくなる、いちリスナーだったんです。
僕をはじめ当時の若者にとっては、ラジオは教科書であり、授業でした。米英の音楽や、ブルースの歴史など音楽の知識をつけてくれて、文化を教えてくれた。もっと深く知りたくなって、本や雑誌を買って読んだり、お金がなくて立ち読みしたり、友人から借りたり。大事なところを破り取って返したら、「ページが少なくなってるぞ」と怒られたり(笑)。