巨人のV10を阻止して胴上げされる与那嶺要監督(時事通信フォト)
その一つの集大成というか、とりあえずの終着点がドラゴンズの巨人V10の阻止だ。サードの島谷金二選手がジャンプ一番、ライナーをグラブに収めた忘我の瞬間といったら。
たしかにジャイアンツは王、長嶋を擁するスター軍団で9年連続優勝を果たし、向かうところ敵なしの常勝軍団だった。そんな勝って当たり前のチームを応援してどこが面白いのかさっぱり分からんが、とにかく猫も杓子も巨人が大好きだった。
悔しいが少年ドラファンの私でさえ、巨人のスタメンは顔と名前が一致した。ちょっとした豆知識もある。とくに昔の選手の。たとえば、いつも眠そうな顔をしてファールばっかり打っていた高田繁選手は、中学生時代の皇后・雅子さまがファンだったことで知られているが、もしドラゴンズにいたら別のキャラクターというか、きっとみのもんたにいじられて(少し時代は違うが)ウーやんレベルの人気者になったはずだ。
外野で守備練習をしていた末次利光選手が柳田真宏選手の打球を目に当てて負傷したときには本気で心配した。1977年のことだ。後に伝わる話では、目を開けたまま打球を受けたため水晶体にボールの縫い目がついたともいわれる。恐ろしい事故だ。また、大人になって書店通いが趣味になり、書店で文庫本の背表紙の『悲の器』のタイトルの下に高橋和巳の文字を見つけたときは、「えっ、巨人のピッチャーが小説書いたの?」ってちゃんと反応した(巨人のピッチャーは高橋一三だが)。
中日による巨人V10阻止を薄めた「ミスター引退」
しかし、巨人=太陽説もいい加減にしないとダメだ。中日が巨人のV10を阻止してリーグ優勝した翌日のスポーツ紙の1面のほとんどが「長嶋、引退!」って、あんまりだ。
中日の優勝は、無視か。なかったことになるのか。
しかも、東京でこの話をすると、ほとんどの場合、「V10阻止したのって中日だったの?」と訊き返される。“それくらい知っておいてほしい”という願いは虚しく、逆に中日へのクレームを言われることもある。当時の巨人ファンにしてみれば、国民的スター・長嶋茂雄の引退試合だというのに、主力選手をほとんど参加させなかった「失礼な球団」として中日を記憶しているからだ。
たしかに「主要な」といえるメンバーは大島くらいだった。大島もあの頃はまだ主要といえるかどうかも怪しかった。だから、ドラファンからしてもあの引退試合は、ちょっと後ろめたい気持ちにはなった。だとしても、優勝の喜びを帳消しにしてしまったことを詫びるのが礼儀だろう。「長嶋引退」ってニュースなら、いつ出したってバリューが薄まることはない。考えられるのは、「わざと」だったってことだ。
政治家が自分のスキャンダルを週刊誌につかまれたとき、懇意にしている芸能事務所の社長に頼み込み、「A男とB子が結婚!」とか「C男とD子が密会!」って“特ダネ”をこっそりリークして自らの醜聞を薄めてしまう手法みたいに(本当にあるのかどうか知らないが)、V10を逃したショックを少しでも和らげたいと目論んだのだろうか。
実際、その年のドラゴンズの優勝パレードなんて、広域名古屋を除けば誰もやったことすら知らない。だが、長嶋の引退試合後の名(?)スピーチ、「我が巨人軍は、永久に不滅です!」のフレーズを知らないやつはいない。
永久に不滅なんてものは、この世にないけどね。