アニメシリーズでは、カネやんこと金田正一投手がちょこちょこ登場し、キーになる助言やテレビでの解説をこなしているが、これもなぜか中途半端な関西弁だ。
おーい! カネやんは愛知県稲沢市の出身で享栄(商業)高校野球部だぞ。
全国の子供たちが観るテレビアニメということであれば、カネやんが標準語を喋るのはまだ受け入れられるとしても、なぜ関西弁である必要があるのだ。しかも不正確な。
不正確といえば、このアニメには少なくとも2つの誤った格言的エピソードがある。
一つは、「百獣の王・獅子(ライオン)は可愛い我が子を谷底に突き落とす」という話で、厳しくしつける愛情のたとえとして登場する。「可愛い子には旅をさせよ」の変形版だろうか。いずれにせよ“スパルタ万歳”の子育て教訓だ。
だが、残念なことにライオンには子供を崖から突き落とす習性はなく、そもそもライオンの生息地にあまり谷底と呼べる地形はない。
子供の頃、「父親はなぜか姉ちゃんばかりに甘いよな」とひねくれたときには、この「ライオンは……」の言葉を思い出して自身を納得させたこともあった。けれど、昭和のオヤジがみな、これを真に受けて我が子をしごいたら、それこそ社会問題だ。
もう一つは、坂本龍馬にまつわるエピソードだ。「死ぬときはたとえドブのなかでも、前のめりに死にたい」と龍馬が言ったと、一徹は飛雄馬に話す。飛雄馬が「オレの青春を支配したこの言葉」とまで語った言葉だ。
ただ、坂本龍馬がそういうタイプの人ではなかったことは、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読めばうっすら分かる。それで卒業だ。だが、“猛烈な龍馬”という呪縛から解放してくれた司馬史観も、これはこれでやっかいな説(そもそも「龍馬」と「竜馬」だから)ってこともやがて学ぶ。
歴史があって、修正主義があって、またその先にポスト修正主義がある。見事な展開だ。だから新事実も不動の真実じゃない。事実は更新され続けるものであって、知識など、不完全なものという戒めになった。ましてや、そんな半端な知識をもとに短絡的に他人を攻撃するなど愚の骨頂。無知の知、ソクラテスだ。
ドラゴンズが教えてくれる学びは、やっぱり深い。厳密には『巨人の星』からの学びだが。