宇野勝氏と富坂聰氏による中日ドラゴンズ愛にあふれる対談だった
「これだけのメンバーで負けるわけがない」(by落合監督)
富坂:やっぱり打ち勝つ野球は盛り上がります。これは落合さんの時代に客足が遠のいたのと関係してますか?
宇野:(少し困った表情で)あの時期は僕も(コーチとして)ベンチにいたからなぁ。とにかくピッチャーが良かったから、そういう戦略になったんだけど……、僕はあんまり好きじゃなかった。
富坂:どうしてですか?
宇野:だって、プロ野球は日本の野球の最高峰でしょ。150キロの剛速球を投げて、その渾身のストレートをバッターがガンガン弾き返す。それこそがプロ野球だから。子供たちが観に来て、やっぱプロ野球選手って凄いんだ、あの速球をスタンドに放り込んじゃうんだ、とね。でも、現実にはそれがない。抑えられて負けた監督が試合後に「いいピッチャーだから(仕方ない)」とコメントする。それじゃダメだと思うんだ。
富坂:私が子供の頃に見ていた宇野さんの時代のドラゴンズは、“野武士野球”でした。
宇野:近藤(貞雄)監督の頃かな。ベンチ25人が総動員される感覚だった。
富坂:近藤監督はピッチャーの分業も確立されましたね。
宇野:そう、ピッチャーも全員使う。僕はよく怒られたな。僕と大島(康徳)さんが大洋の古賀(正明)投手の投げるフォークボールにくるっくるっと三振してね。その後にベンチ裏に呼び出されて、「お前ら、何やっとんじゃー!」って怒鳴られてた。近藤監督は怒りっぽい人で、それこそマウンドでも怒鳴り合いになった(笑)。
富坂:自軍のピッチャーのいるマウンドで?
宇野:そう。「何やっとんじゃー!」って怒る監督に、「そんなん一生懸命やっとるに決まっとるじゃないですか!」って、大モメにモメて。その試合はヤクルトに勝ったんだけど、(ヤクルトの)関根(潤三)監督が試合後、「マウンドでケンカしてるようなチームに負けたのか……」って、そりゃ悔しがってたね(笑)。
富坂:ドラゴンズは短気な監督が多いような気がします。高木(守道)監督とか。
宇野:守道さんかぁ。僕は怒鳴られた記憶はないけど、確かに短気だったよ。
富坂:与那嶺(要)監督はどうでしたか?
宇野:ウォーリー(与那嶺監督の愛称)の頃、僕は半分二軍だったけど、とにかく一軍のピリピリした雰囲気が忘れられないね。その緊張感に驚かされた。二軍とは全然違う、やっぱり戦う集団っていう空気があった。
富坂:一軍昇格は2年目からですか?
宇野:そう。2年目の開幕から。二軍で4試合連続ホームランを打って。じゃあ上がってこい、と。3年目には背番号が43番から7番になった。
富坂:プロになりたての宇野さんにとって、チームはどんな印象でした?
宇野:ウォーリーの時代だから、ピリピリしてた。あの人は「やられたらやり返せ」の人だから。もしクリーンナップがデッドボール喰らったら、必ず報復する(笑)。「ぶつけろ」っていうサインもあった。だから乱闘になる。ウォーリーだけじゃなくて、打者もピリピリしてた。味方のピッチャーがやり返さないと、ベンチに帰ってきたときに「何やってんだー」って怒鳴ったりね。
富坂:ピッチャーが星野(仙一)さんでも?
宇野:星野さんはその前に一番怒っていたから(笑)。監督になってからも変わらなかったね。
富坂:星野監督はやっぱり、選手を乗せるのがうまかったんですか?
宇野:乗せるというか、ビビらせて、ね(笑)。でも、選手もちゃんと反応してた。
富坂:ベンチでよく物を壊してましたね。
宇野:でも、それは一つのサインなの。選手にもそれで伝わるから。