2時間近くに及んだ宇野勝氏(右)と富坂聰氏の対談は終始笑い声が絶えなかった
中日ドラゴンズ愛にあふれる異色の新刊『人生で残酷なことはドラゴンズに教えられた』が話題の富坂聰氏(拓殖大学海外事情研究所教授)。なかでも富坂氏がそのプレーや人柄に惚れ込んだ名選手が、レジェンド・宇野勝氏だ。千葉出身の宇野氏が中日ドラゴンズに入団した経緯や、現役時代の名試合の裏側など、知られざるエピソードの数々について富坂氏が聞いた。(シリーズ第15回。第1回から読む)
バント失敗、直後にスリーラン!
富坂:宇野さんに「気持ち」と言われて私が思い出すのは、1982年9月28日。巨人の江川(卓)投手から9回に4点差を追いついた一戦です。最後は逆転勝利して、中日優勝の流れをつくりました。(シリーズ第13回を参照)
宇野:ああ、あれは野球人生を振り返っても、最高の試合だね。
富坂:豊田(誠佑)さんが口火を切った猛攻で、宇野ファンの私は“宇野さんがブレーキになったらどうしよう”って、ひやひやしてたんです。
宇野:アハハハ。あの打席まで僕は3三振だったからね。まず豊田さん、そして続いた2人のヒットで球場が異様に盛り上がって、僕に回ってきた。その打席もツーストライクまで追い込まれていたんだけど、開き直ってインハイにバーッと来た球を、ガーッと振ったらレフト線に飛んでってね、ツーベースだった。
富坂:よーく、覚えてますよ!
宇野:あれには後日談があるの。次の日に球場に行ったら、江川さんが「お前、騙したな!」って。「(ランナーがいたから)右打ちだと見せかけておいて、引っ張っただろう」って。だけど、本当に僕は何も考えてなかった(笑)。
富坂:宇野さんは江川さんをよく打っていた印象があります。
宇野:江川さん本人から教えてもらったんだけど、通算打率は2割6分4厘。ホームランは10本で、ドラゴンズでは一番打っていた。だけど僕が対戦したときは7番とかの打順が多かったから、江川さんは手を抜いて投げてたと思う。
富坂:あの試合では自信があったんですか?
宇野:なかったね。本当のことを言えば、9回で4点差でしょ。ピッチャーは怪物・江川。巨人にはマジックも出てたから、半ば諦めムード。“ウチも頑張ったけど、こんなもんかぁ”って感じだったんだ。だけど、江川キラーの豊田さんが塁に出て、次の選手もヒットで「あれっ」となって、また次もヒットで「あれれっ」となってね。急に凄く盛り上がってしまった。
富坂:まさに盛り上がりが大事、ということですね。
宇野:あの試合で分かるのは、選手って、気の持ちようで凄い実力を発揮できるってこと。選手は一度「勝つ」流れに乗れれば、そのまま勢いで優勝まで突き進める。
富坂:選手がその気になるかどうか。