富坂氏の核心をつく質問にも丁寧に応じる宇野勝氏
「どうせなら巨人に行きたかったですか?」
富坂:ところで、中日の年俸は渋かったんじゃないですか? 少なくとも巨人とか阪神に比べると。
宇野:そう言われてたね。でも、当時はそんなこと考えてなかった。ただ、一度だけびっくりしたことがあって、3割打ってホームランも18本だった年のオフ、意気揚々と契約更改に向かったら、あっさり「ダウンだよ」って告げられたんだ。
富坂:理由は?
宇野:ホームランの数が減ったって。30本が続いていたからね。
富坂:それでも判を押すのは宇野さんらしいですけど、ドラゴンズに入って良かったと思いますか?
宇野:そりゃ、良かったと思うよ。でも、「宇野はもう少し真面目に野球やっていたらなぁ」ってよく言われたよ。これ、どういう意味なのかな?
富坂:二十歳前に関東から名古屋へ。生活は馴染めましたか。
宇野:僕の性格だから、どこに行っても気にしない。
富坂:当時のナゴヤ球場も好きでした?
宇野:ナゴヤ球場は守りにくかったな。でも、人工芝になる前の神宮が一番嫌いだった。とにかく大学生が使った後だからグラウンドがボコボコでしょ。本当に大変だった(神宮球場の内外野が人工芝となったのは1982年)。
富坂:与那嶺さんや星野さんの名前を挙げるまでもなく、昔はドラゴンズっていえば「アンチ巨人」でしたよね。親会社がライバルということもありますし。
宇野:そもそも巨人戦の賞金の額が違った。星野さんの時代の監督賞は、他の球団だと1試合で80万円くらいなのに、巨人戦だけは100万円だった。
富坂:気合が入りますね。
宇野:上(フロント)も巨人戦は意識してたんだろうね。
富坂:どうせなら巨人に行きたかった、とは思わなかったんですか?
宇野:僕は千葉の田舎の出身だから。どの球団に行きたいか以前に、プロになるということに現実味がなかったんだ。小学校時代には憧れたけど、中学生になると今度は「甲子園に出たい」でしょ。そっから先は、プロという存在が遠すぎて。