開幕投手を務めたエース高橋宏斗の活躍が待たれる(時事通信フォト)
今シーズンの開幕以来Bクラスに沈む中日ドラゴンズ。現状を打開するために必要なものとは何か。著書『人生で残酷なことはドラゴンズに教えられた』で、物心ついた頃からのドラゴンズの思い出を綴ってきた富坂聰氏(拓殖大学海外事情研究所教授)が、「ドラゴンズの現在と未来」というテーマに立ち向かう。(シリーズ第20回。第1回から読む)
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ここ数年、朝起きて最初にする作業は、スマホに届いた広告メールの削除だ。仕事で使うメールとその他でアドレスを分けている都合上、作業のほとんどはメールの削除だ。タイトルだけを見て、ひたすら削除をタップする。
大量消費時代の水を飲んで育った影響なのか、捨てることに良心は痛まない。巨人の選手のプロ野球カードを捨てるようなもんだ(良い子はマネしないで)。むしろ、削除を確認するボタンを押すときは、小さな快感さえ覚える。スッキリする。
読まずに削除する大量のメール。そのなかには巨人とヤクルト、そして横浜のファンクラブが発行するメルマガも含まれている。読まずに捨てる。これ、関東在住の“ドラファンあるある”だろう。東京ドーム、神宮球場、横浜スタジアムのチケットを取るために、仕方なく登録しているのだ。
怖いもの見たさで覗いてみたくなるときもある。でも、しない。ちょっとでも魅かれたり、興味を刺激されたりすると不愉快だからだ。
でも、試合を観に行った球場では、そんなことがときどきある。
横浜スタジアムで山崎康晃投手がリリーフ登板するときの、「や・す・あ・き!」とファンの大合唱が轟く応援歌を、「なんてカッコイイんだ」と思ってしまった。何なら一緒にジャンプしそうになった自分が許せなかった。
山崎が出てくるということは、当然、ドラゴンズが劣勢なのに……。あんな気持ちに二度となりたくない。もう二度とカッコイイなんて思ってはいけない。そう自らを戒めた。一人言論統制、思想統制だ。
山崎の登場シーン、カッコイイぞ、チクショウ! 電車に乗ろうとして、ICカードのタッチを「や・す・あ・き」の「き」でやってしまいそうになったときは戦慄を覚えた。
スターは「ドアラ」しかいないのか?
神宮球場で声援を浴びるつば九郎を、可愛いと思ってしまった自分も許せない。
いや、ドアラを超える愛着は湧かないんだ。湧かないけど、ドアラは「可愛い」のとはちょっと違うってことは分かる。でも、直球の「可愛い」にも人は弱い。
それにしても、ドアラが「全国区の」人気を博しているのはどうしたことだろう。名古屋発というだけで無条件に「イロモノ枠」にぶち込まれ、どんなものにも大きな逆風が吹く風潮のなかで。
やっぱり、オーストラリアが誇る無敵の有袋類「コアラ」のおかげなのだろうか。ディンゴ(選手ではなく野犬のほうね)とは格が違うということか。
オーストラリアでコアラを見たときは、結構すばしっこくてギャーギャー騒がしくて、イメージの調整を迫られたが、それでも東山動植物園のコアラは静かで可愛いはずだ。
いや、どう見ても人間とコアラの混合物であるドアラは、人間の要素のほうが割合的にも勝っていて特殊だ。あのとんでもない頭身バランスを考慮しても、6〜7割くらいは人間だ。
ドラファン以外の誰がそんなにドアラを「可愛い」と思ってくれるのだろうか。