彼らの犯した大罪について詳細を述べるのはためらいを覚える、あまりにも凄惨だからだ。詳しくお知りになりたい方は『ニコラエフスクの日本人虐殺』を読んでいただきたいが、まったく割愛するのでは歴史書としての役割が果たせないので、少しだけ紹介しよう。
〈パルチザンと労務者は日本守備隊の殲滅と同時に、住宅に突入して男だけでなくすべての女子供も無慈悲に殺し日本人居留民の絶滅をはじめた。悪党の残虐行為にはまるで限度というものがなかった。彼らは通りで幼い赤ん坊を抱えた日本女性に遭遇するや不運な女を銃剣で突き刺し、そのあと赤ん坊も殺した。こうしたやり方で戦闘の初めの二日間で、中国人やロシア人労働者と同棲していた数人の日本女性を除くすべての日本人居留民は殲滅された。〉
(引用前掲書)
すでに逮捕されていた白系ロシア人も無残に殺された。
〈州監獄での殺害の光景は以下のようだった。拘留者の両手を縛り、裸にしてグループごとに内庭に連れ出し、斧の峰で頭を打ち、不幸な人が倒れるや銃剣で突き刺すか軍刀で斬るか、まれに射殺した。皆殺しにすると、死体の一部はゴミ捨て場に運び出して雪に埋め、あとはアムール河に送って開けた穴に死体を投げ込んだ。〉
(引用前掲書)
もう一つ忘れてはならないことは、彼らは犠牲者の遺体に対して無法の限りを尽くしたということだ。女性の場合は必ずと言っていいほど女性器と肛門が切り裂かれていたと公式の死体検案書にある。さすがにソビエト政府もこれを見逃すことはできず、トリャピーツインは逮捕され側近と共に死刑判決を受け処刑された。しかし、その判決文には日本人虐殺の罪は含まれていない。
尼港事件が、その後の日本の世論にきわめて大きな影響を与えたことはおわかりだろう。共産主義および共産主義国家に対する激しい嫌悪感が、これによって生まれた。それが最大の影響だったかもしれない。そして、当時は若手将校だった板垣征四郎や石原莞爾は、「中央の命令に盲従するからこんなことになるのだ」あるいは「支那はやはり信頼できん」と思っただろう。
人間は「失敗から学ぶ動物」である。
(「シベリア出兵と米騒動」編・完)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年5月2日号