エステラは、私に彼女の肉体的苦労の日々を語っていたが、アントニオは、むしろ精神面における苦労の思いが強かった。夫婦がそれぞれの役割を担っていたため、私に向かって話す内容が必然的にそうなったのだと思う。
アントニオが、当時を振り返った。
「小学校の校長先生に、『娘さんは何も分からないのに、なぜ算数を教えなければならないのかね』と言われた時は、とてもショックでしたね」
突然、声が小さくなった。
「ごめんなさい。思い出していたら、悲しくなってしまって……」
思い出させてしまって、申し訳ない。裏返る声を落ち着かせ、彼は語った。
「妹や周りの友達が思い切り走って遊んでいる中で、車いすに乗ったアンドレアが、私の顔を見てにっこり笑うんですよ。『彼らのように遊べないのに、なぜ俺に笑顔を見せるんだ』って」
こうした何気ない日常風景の一コマに悲しみを見出す彼の繊細な性格に、私は徐々に引かれていった。そして、ふとこんな思いが浮かんでくる。
これほど愛していた娘の死期を早める決断を下したのは、苦しみから解放してあげたいという愛であったはずだ。その決断に対し、私が反対する理由は見つからない……。
アントニオも医師や看護師の対応に落胆した。それは、アンドレアが臨死状態に陥った10月頭の頃で、いよいよ法的な過程を経て、セデーションが行われようとしている時だった。担当医が、両親に向かって、こう言った。
「そろそろ、アンドレアは退院できますよ。家に戻って構いません」