フィリピンの指示役ら。左から今村磨人、渡辺優樹、藤田聖也の各被告(共同通信社)
バールを共犯に持たせ「やれ」
法廷で時々涙を流し、目元をぬぐいながら詳細を語る永田被告だが、当時はこの広島の事件で家人に大怪我を負わせたことを認識しても、止まることはなかった。「強盗で逮捕された時に何年刑務所に入るか。調べてましたが知識がなく、強盗の法定刑が5年以上とあるのを私は5年だと思い込み、強盗したら5年で済むという感覚になりました。パクられて5年なら変わんないんじゃないか。一般の方に暴力を加えるのは私の主義に反するが、もういいわと。自暴自棄になり参加しました。加えて競艇に注ぎ込む金が欲しかったからです」と振り返る。
年が明け2023年1月12日、次は石川に住む親友を誘い、千葉・大網白里の店舗で強盗に及ぶも金品を奪えなかった。ヤミ金への返済が滞ることになった永田被告は、その日のうちに次の“案件”を紹介するよう、指示役「キム」に求めた。これが同年1月19日の狛江市における強盗致死事件である。
この狛江事件でも、1件目の空き巣事件同様、下見の際に家人の在宅有無を確かめながら、空き巣か強盗かの見極めがなされた。バールは“空き巣になった場合”に備え、家人不在でも金庫が開けられるよう、下見後に準備していたものだった。しかしバールは実際には“金のありかを聞き出すための家人への暴力”に使われることになる。
永田被告は現場でこのバールを共犯の野村広之被告に渡し、当時在宅していた90歳女性に現金のありかを聞き出すために暴力を振るうよう指示した。ところが野村被告はいきなり多数回、バールで殴打を始めたのだという。
「私は一言『やれ』と言うと野村は6~8発、連続でものすごい力を込めて背中や脇腹、尻、左腕、連続で叩きました。
僕はこのとき正直……ちと、言いますね、マジか、と思いました。私のイメージとしてはまず一発……どこかを殴って、痛いでしょ? 言わないとずっとやるよ? と言って、心理的、外傷的に、じわじわ拷問しようとしていたんですが、野村は予想を超えて、1回目に6~8発、かなり強い攻撃を加えた。でもそこで、いや、やりすぎ、とか、やめろ、というと私のメンツが潰れる。野村は……ちょっと省いて言いますが、かなり犯歴があり、プライドが高く自己中心的で人の言うことを聞かない。ちょっと私が『待て』と言うと立場が逆転する。なので言わずにいました。むしろ逆に私は『おー、やるやん』と褒めました」