競艇にのめり込んでいたという
取り調べで住所は「悪党の楽園」と答えていた
逮捕当時、テレビカメラに笑みを見せ中指を立てるなど、事件で震撼している世間に対し挑戦的な態度を見せていた永田被告。「強盗はずっと、5年で出れると思ってましたが、強盗殺人の法定刑は無期懲役か死刑だと知り、知識がある人に尋ねると、30(年)はくらうんじゃないか、と言われました。30年もブチ込まれるなら死んだほうがいいと死刑を目指すようになりました」と、言う。当初の取り調べでは住所を聞かれても「悪党の楽園です」と答え、職業についても「上級国民です」などと応じ「すごい悪いことを言い続けて」いたのだそうだ。
「今も死刑がふさわしいと考えています」とも言うが、1年半以上経った裁判員裁判では「上級国民」などと述べることはなく、違う意味で変貌していた。捜査関係者からの言葉で、心境が変化したという。各地で事件を起こしているためその度に移送され、捜査員らと接する機会があったようだ。
「皆ありがたいことを言ってくれたんですが、代表としては3名……狛江事件の刑事さんは『やったことは許されないけど、人は変われるから。罪を憎んで人を憎まず』と……」
そう言ったところで涙を流し、こう続けた。
「千葉では、刑事さんが、私が死刑を目指すために本心でない調書を作っていたら『自分の人生だから、後悔しないようにしないとダメだよ』と……。広島では、具体的に相談に乗ってくれて『遺族のために死刑を目指すのね、でも法廷でもそんな態度を取るんか? それは遺族のためにならんで、もっと柔軟にいきんしゃい』と……。
正直僕は、復讐のためとかそういう理由でなく、人を殺した僕は人じゃない。最低な人間に、なんでこんな優しく……と嬉しかったし、感謝してます」
加えて篤志面接委員との面談や官本に触れ、被害者らの置かれた状況を自分なりに考え、すべてを話す現在地に至ったという。これは珍しいことではある。実際、狛江事件の他の3人の実行役は、法廷で「指示役から脅されていた」「テレグラムの指示役からのメッセージは見ていなかった」「他の実行役がやった」など、それぞれに主張していたからだ。刑を軽くするためこうした主張をする被告人は珍しくない。しかし永田被告は、すべてを話すことを選んだようである。
「理由はふたつあります。まず、遺族が真実を知りたがっている。そして、真実が出なければ、正しい刑罰が下らない。この2つです。
基本は全部、事件について正直に話しています。指示役特定のため、海外の会話の音声を聞いて、この声がキムさんとか、これがミツハシとか、特定を手伝うこともしました。今後も協力を要請されればもちろんすすんで協力します」