簡単だ。忘れる、もしくはなかったことにすればいい。ギリシャ神話のレーテーの水、忘却の水を飲むのだ。『忘却の河』を書いたのは、福永武彦だ。「忘却は、人間の救いである」といったのは太宰治だが、いや、太宰よ、違うぞ。
忘却とは真の「自由」だ。「救い」など、あまりに消極的だ。ややこじつけだが、決めつけや支配から自分を解き放つ「自由」なのだ。結局のところ「自由が意味していたのは、政治的支配者の専制から保護される、ということだ」と、J.S.ミルが言ってるじゃないか。あえて曲解すれば、教師という権力者はテストが悪ければ「バカ」だと決めつけようとするが、どこ吹く風と柳に風で自己肯定感を損なわない「自由」はある。
つまり、どんなに偉く、強いヤツがいたとしても、オレの“忘れる自由”は奪えないぞ、ってこと。だから、どんなに強いチームがあっても、そのチームが優勝したことを忘れてしまえば、少なくともオレのなかではなかったことになる。
なんて前向きなんだ。この本を書いたら、次は人生相談の本を売り込もう。嫌なことはどんどん忘れる。良いところだけ見て伸ばす。子育てと同じだ。
そんなこと、ドラゴンズファンならとっくに学んでいる。
足が遅いのに高打率の木俣
たとえば、キャッチャーなのにけっこう打率が高かった、木俣達彦選手だ。タイミングの取り方が独特で、マサカリ打法と呼ばれていた。
長打力もあったから子供はみんな木俣が大好きだった。これも名古屋あるあるだが、クラスには何人もマサカリ打法をマネするヤツがいた。
私は、ちなみに大洋の長崎啓二選手のほうが変な打ち方だと思ったので、マネのし甲斐があって、長崎の真似ばかりしていた。長崎といえば、ドラゴンズとは浅からぬ因縁があるけれど、その話は長くなるのでまた別の機会に。