木俣は、とにかく足が遅かった。鈍足という言葉を私に教えてくれたのは、じつは木俣だ。打率が高く長打力もあるからいつも期待していたが、ワクワクしながら打席を見守っていた半面、記憶のなかで目立つのはダブルプレーだ。セカンドフォースアウトの後、一塁に送球されて審判がアウトのポーズをとる頃になってやっと木俣が画面に現れる。ギリギリアウトじゃない。大柄な助っ人外国人より遅い。
家族で野球観戦しているとき、木俣が併殺を喰らって微妙な空気が場を支配したことがたびたびあった。そんなあるとき、父がポツリと「ずっと、座っているからだな」と言ったことがあった。家族は無言。私は、納得できたような気持ちになった。しかし、間もなく「走れる捕手」中尾がドラゴンズに入団すると、この説は雲散霧消してしまった。
さて、ダブルプレーは多いが、打つときは打つ木俣。そんな木俣を、どう総合的に判断したらよいのか。これも、良いところを膨らませればよいのだ。
あんなに足がおっそくて、かつ右打者なのに、あんなに打率が高いってことは、球をバットに当てる技術は神業だった──と、そんな論法が成り立つのだ。逆イチローだ。あの足の遅さを考えたら、純粋な打力は球界一だったのかもしれない。
こんな具合に、ドラファンは温かいのだ。
落合監督時代のドラファンよ
基本、温かいんだけど、いただけなかったのは、落合博満監督時代のドラファンだ。何といっても冷たすぎじゃなかったか。球場に足を運んであげてよ。あんなに強かったんだから。
この本の企画が決まったとき、あまりのうれしさに妻を無理やりカラオケボックスに引っ張り出して「燃えよドラゴンズ!」を熱唱した。
妻は浜松の出身で、10代は巨人の選手を目当てに浜松球場に通い、途中ちょっとヤクルトにも興味を持ったらしいが、その後は野球そのものへの興味を失っていったという、ありがちな経歴をたどった。