中日でのデビュー1年目に脅威の35勝を挙げた権藤博。2019年に野球殿堂入りした(時事通信フォト)
開幕戦の先発投手を務めた山本由伸(ドジャース)、今永昇太(カブス)、そしてメジャーデビューを飾った佐々木朗希(ドジャース)ら、MLBでは日本人投手の活躍が連日報じられている。新書『人生で残酷なことはドラゴンズに教えられた』を上梓した日中問題の専門家である富坂聰氏(拓殖大学海外事情研究所教授)は、そうしたメジャーリーガーたちに引けを取らない大投手が、ドラゴンズの歴史には数多いと力説する。富坂氏が綴るシリーズ第11回は、球界を代表する豪速球投手を多数輩出しながら、短命に終わるケースが多かった問題に言及する。(シリーズ第11回。第1回から読む)
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二刀流メジャーリーガー・大谷翔平の大活躍が連日のように海の向こうから伝えられるのは格別な喜びだ。日本経済の低迷が著しいなかでは殊更に。
だが、その陳腐な劇画のようなスーパーマンぶりには舌を巻きながらも、どこか戸惑っている自分も発見する。大谷が凄すぎて、親近感の針が振れないのだ。
そんなミラクル日本人メジャーリーガーの系譜をたどってゆくと、その途中には一人の選手がいた。2013年の楽天イーグルスを優勝に導いたエース・田中将大投手だ。
シーズン、24勝0敗。人間じゃない。
だが、長い日本プロ野球の歴史をさかのぼれば、マー君に比肩する投手もいなかったわけじゃない。とりわけドラファンは黙っていられない。
「権藤がおるがや」「どえりゃー投手だてー」となる。
権藤博投手。なにせデビューした年に35勝も挙げてしまった規格外の大投手だ。
35勝にも驚かされるが、そのうち完投が32試合、完封が12試合というのも並外れた成績だ。ちなみに防御率は1.70。
キャッチフレーズは「権藤、権藤、雨、権藤」。
どんだけ酷使したんだ。いかにも中日っぽい。おかげで権藤はすぐに肩を壊してしまった。現役生活はたったの5年だ。
権藤といえば、横浜の監督として日本一に輝いた名将として全国区の知名度を誇るが、もともとは中日ドラゴンズの選手だ。いまは中日も横浜もブルーを基調としたユニフォームだが、ドラゴンズのほうがより洗練されたブルーだ。横浜で拙著が拒絶されるのは困るけど、私はそう断言させていただく。
年間32勝を挙げた「フォークボールの神様」杉下茂投手もドラゴンズだ。日本で初めてフォークボールという魔球を操った男。あの「打撃の神様」巨人の川上哲治選手をして「キャッチャーが捕れない球をどうやって打つんだ」と言わしめた。神様が脱帽した神様だ。