1967年に29勝を挙げ最多勝と沢村賞を獲得した中日の小川健太郎(産経新聞社)
オズマも一目置いた「背面投げ」の小川健太郎
まだいる。小川健太郎投手だ。ドラファンと酒間で小川の話になると、みな決まって立ち上がって「これ、ですね、これ」っと背中からボールを投げるモーションをする。
「これ」というのは背面投げのこと。「ああ、背面投げね」と反応できるのは年配者のごく一部だ。プロ野球のマウンドで、対戦相手に背中から球を投げるってこと自体、漫画だ。しかも、あの世界の王に対して試合で投げたっていうんだから、なおさらだ。
どうせなら本物のメジャーリーガー相手に投げてほしかった。日米野球かなんかで。メジャーリーガーたちが困惑し、当惑する顔、両手を天に向けて首を振る姿、見たかったなあ。そしたらスポーツ記者も頑張って「オー、クレイジーボーイ!」ぐらいのコメントは取ってくれたはずだ。日本はスシとゲイシャだけじゃない。ニンジャもいるぞ、と。
これは妄想だけど、王に投げたのは本当だ。
しかも、小川は捕手の木俣相手に何百球も練習したというから、「マジか!」と叫びたくなる。
だが、小川は決してイロモノじゃない。遅咲きのため実働期間こそ短かったが、大投手だ。最も活躍した1967年には29勝も挙げて最多勝を獲得。この年の負け数はたったの「12」。防御率は2.51。文句なしの沢村賞に輝いた。
実は中日の投手には他球団にはない「背番号の法則」がある。エースは「18」ではなく「20」を背負うのが伝統なのだ。
杉下、権藤、星野(仙一)、さらには小松辰雄投手、そして韓国の「国宝」と呼ばれ、中日の11年ぶりのVに貢献した「コリアン・エクスプレス」宣銅烈投手も「20」を背負った。
だが、小川健太郎の背番号は「13」。エースだったのに。
小川の背番号「13」にも興味深い裏話がある。
私の知らない秘話(でもないか?)を教えてくれたのは朝日新聞政治部から『日刊スポーツ』に転籍し、「人生で残酷なことは『巨人の星』に教えられた」と語る秋山惣一郎記者(すでに引退)だ。秋山氏はドラファンではないが、小川の秘話を、「えっ、まさかそんなことも知らないの?」という表情で教えてくれた。
前回の記事(第10回)で書いた『巨人の星』のオズマを思い出してほしい。
オズマの中日での背番号は「130」だった。あの時代には珍しい三桁の背番号だ。カージナルスでのオズマの背番号は13。当然、オズマは中日入りする際に「13」というキリスト教圏では不吉な数字を要求した。
「ところが、中日では13は小川がつけていた背番号だ。簡単には譲れない。オズマも『小川なら仕方ない』と引き下がり、130に落ち着いたんだよ」(秋山氏)
小川の勝ち。メジャーリーガーの要求をはねつけるあたり、中日もなかなかやる(漫画だが)。