ファン(私も含め)も同じだ。やっぱり、今日も勝ってほしいから。そして監督もコーチも選手を酷使する。とりわけ速球派投手はたまったものではない。
記憶に残る速球という意味では、与田がいる。球速157キロの記録には驚かされた。しかし、やはりタカマサのデビューの鮮烈な印象は突出していた。全盛期は過ぎていたとはいえ、ONのいるジャイアンツのクリーンナップをバッタバッタと三振に切って取った雄姿に、私もテレビの前で釘付けになった。
だからこそファンも、なにかっていうと「タカマサ出せー!」と叫んだ。「権藤、権藤、雨、権藤」のノリで「タカマサ出せー」となり、先発からリリーフ、抑えまで大車輪の活躍のなかで、1977年には年間18勝もした。
そりゃ凄い成績だが、待っているのはお約束の結末だ。唸るような速球という武器を失ったタカマサは、何度も救援に失敗し、失意のなかでマウンドを降りた。
でも、タカマサの物語はそこで終わりじゃなかった。
数年後、いわゆる「打たせて取る」軟投型の投手として見事に返り咲き、1984年には年間16勝という成績を残すのだ。体力型から頭脳派への華麗なる転身だ。
左手でボールを投げられなくなった星飛雄馬が、右投げになって返り咲いたときにはそれほど感動しなかったが、タカマサの再起にはシビレた。
本人に会ったことはないが(当たり前だが)、人としての厚みを大幅に増量して、ファンを喜ばせるためにマウンドに戻ってきてくれたと勝手に思い込んだ。
噛んだ瞬間に、濃厚な出汁が口の中に広がるような深みというか。軟投型に変身したタカマサの熟練の技を見るのは楽しかった。
ただ、楽しい半面、ドキドキもあった。ONを剛速球でなで斬りしていた時代とは違い、打たれる姿を見るのがつらくなったからだ。自分の価値観が否定されるような気がして、何か傷つくからだ。不思議なことだが。
藤島健人が打たれるのだけは見たくない
タカマサとは少しタイプが違うんだけど、現在進行形でいえば、それは藤島健人投手を見守る気持ちに近いものがある。
藤島が打たれるのだけは見たくない──私がドラファン同士の酒席でそう漏らすと、ひとりが「それ、分かりますー」と高速のレスで応じてくれた。
藤島が投げてくれるのは嬉しいが、落ち着かない。説明しにくい感覚なのだが、たとえドラゴンズが勝利した日でも、途中で藤島が投げて打たれていたら、なぜか喜びが半減する。勝利しても癒やされない傷が残るのだ。
エースが打たれるショックとは違う。
たとえば今中慎二投手の負け試合だ。投球スタイルの美しさから「投手のなかの投手」といった称号さえあった今中は、速球とカーブの落差が天下一品だった。その完成度の高さと投球フォームの美しさゆえに、打たれる場面はあまり見たくなかった。それでも藤島が打たれたときの痛みには及ばない。