“ジャンパイア”は僻みなんかじゃない!
ただ、ジャンパイア疑惑はドラファンだけが抱いた感想ではないようだ。ネットには「巨人贔屓の審判」というキーワードが定着していて、具体的な審判名も出てくる。
その検索結果には「星野監督の審判襲撃事件(1996年)」もセットで並ぶ。疑惑が確信に変わる(松坂大輔投手の名言オマージュ)瞬間だ。
こんな話を気心の知れた東京出身者にすると、たいていは一応、笑って受け止めてくれる。ただ、なぜか最後のまとめ(頼んでないのに)になると、「まあ、僻んじゃうよね」と、さらりと結論付けられてしまうのだ。
ん、僻む? そこに落とし込まれるのは、ちょっと違うぞ。
〈僻む:自分が不利な立場に立たされたようにゆがめて思い込む。ひねくれる。〉(小学館『現代国語例解辞典【第五版】』)
別れた後にわざわざ電話して「さっきの話だけど、僻んでいるわけじゃないよ……」と蒸し返すほどのことではないが、その言葉は私の心に引っかかり続ける。
ジャイアンツが「ずるい」と言いたいわけではない。プロボクサーがアウェーでの試合で、「判定は不利だからノックアウトしかない」と割り切る感覚とも違う。
勝ち組的無邪気さへの嫌悪と怒り
そうではない。なにか世の中の、抗いきれない大きな流れを見せつけられたうえで、“誰もその流れには逆らえないでしょ”と目の前で高を括られたような、その勝ち組的無邪気さへの嫌悪と怒りなのだ。
長嶋茂雄という大スターがいて、ホームランの世界記録保持者の王貞治がいて、チームも強ければ、日本人はみんな巨人が好きだよね、ってやつだ。
日本の球界は、常勝「巨人」という太陽の周りを残りの球団が水金地火木土天冥海(最近では「冥」は惑星ではなくなったらしいが)とばかりに回っていて、それは生まれる前からの法則だと。そして、今後も変わらないと。いや、もうそんな時代ではないか。
ただし当時は、巨人が勝てば視聴率も上がり、新聞も売れて、経済効果は他業種にも及び、みんなハッピーになる。気付けば自分もまた無作為の加担者になっている……。
意識していてもいなくても、そんな現象は社会のあらゆる場所にあふれている。多くの人は、唯々諾々と従っている。だから知らぬ間に巨人という太陽の周りを回る惑星(阪中広大とヤクルト)へとなり下がっている。そしてそのことを意識したとしても、いまさらどうしようもないほど、世界はできあがっていた。
これは野球界だけではなく、全スポーツ界、ひいては人間社会の普遍的テーマだ。
相撲が面白くないといえば、「いまはスターがいないから」と人は答える。「ジャイアンツが常勝軍団だったときは野球が面白かった」というのも一理だ。
核をつくることを簡単に否定はできない。