トウ小平の「核心論」とプロ野球
世界に目を向ければ、中国を「独裁」と批判してきたアメリカにトランプが大統領として帰ってきたとあって、西側先進国では「民主主義の価値観が大きく揺らいでいる」と大騒ぎになっている。
一方、アメリカから「独裁」と批判された中国は10年でGDPと可処分所得を倍増させ、同時にクリーンエネルギー化が進展し、大気・水質汚染を克服してしまった。そのことで世界は民主主義の「非効率さ」に言及するようになった。
その隣国の太陽は「紅太陽」毛沢東だが、毛沢東の跡を継いだ小さな巨人・トウ小平は、「集団指導体制」に舵を切ったリーダーと評され、そのことが中国に経済発展をもたらしたと考えられてきた。だが忘れてはならないのは、トウ小平が「集団指導体制にも“核心”は必要」ともいっている点だ。つまり適度な核心があることが理想なのだと喝破した。要はバランスなのだ。
これをプロ野球界に置き換えれば、ジャイアンツという盟主をどの程度までなら特別扱いしていいのか、という問題だ。
社会という生存競争のフィールドでは、誰もが呑まれたくないものに呑まれ、巻かれたくないものに巻かれて生きている。しかし、どこかで「野球くらいはそうであってほしくない」とも思っている。
テレビで全国放送される機会が多く、年俸が高ければ、誰もが最後は巨人に行きたがる。強烈な助っ人も札束で連れてこられるなら強くて当たり前だ。だからライデル・マルティネス投手が2025年からオレンジ色のユニフォームを着ることも受け入れよう。
だが、球界におけるジャイアンツの“核心”はそのくらいでいいんじゃないか。審判までジャイアンツ贔屓では、根本的に何かが変わってしまう。
審判の微妙な判定は、確かに、日々、惰性のなかに生きるドラファンの、そんな自分のなかに眠る「反骨精神」を呼び覚ましてくれるウェイクアップコール(byトランプ)であって、決して嫌いではない。個人的には。かつては微妙な判定どころか、けっこう露骨な判定もあったが、それでも思いっきり憎む相手がいる喜びを感じないでもなかった。
でも、そこに「横暴さ」の色が交じってくれば話は別だ。