巨人戦で審判の判定に抗議する中日・星野仙一監督(1999年、時事通信フォト)
中日ファンの大学教授がその偏愛ぶりを綴った新書『人生で残酷なことはドラゴンズに教えられた』では、日中問題の専門家である富坂聰氏(拓殖大学海外事情研究所教授)が、中日ファンが抱えてきた複雑な感情を詳細に述べている。シリーズ第7回のテーマは、「ジャイアンツ贔屓」の風潮に切歯扼腕してきた歴史だ。単なるドラファンの僻みではなく、「人間社会に定着してしまった普遍的な問題である」と富坂氏は力説する(シリーズ第7回。第1回から読む)。
* * *
「いまの入っとるてー」
「ストライクだがやー」
「審判、どこ見とんだてー」
ひょっとすると、野球中継をテレビで見てきた名古屋のドラファンが、最も高い頻度で発する言葉がこれらかもしれない。
審判への猜疑。
ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!」は、夏の甲子園での奪三振記録(1大会で83奪三振)を持つドラゴンズの元投手・板東英二が歌った頃から幾星霜、さまざまな人にさまざまな歌詞で歌い継がれてきたが、「♪遠い夜空にこだまする 竜の叫びを耳にして」の歌い出しはずっと変わらない。
そう、名古屋の空にこだまする竜の叫びとは、「いまの入っとるてー」「ストライクだがやー」「どこ見とんだてー」というクレームと「あー」という嘆きだ。
やっぱり、ボールと判定されることは不吉だ。1球でもそうだが、フォアボール判定はもっとだ。小さな綻びが、悪い流れを呼び込む。そして、たいてい嫌な予感は的中する。そのまま逆転されたり、最悪、サヨナラ負けだ。
そんな惨劇が、審判のちょっとしたえこ贔屓で幕を開ける。
押し出しで点を失うのは致命的だが、怒りのベクトルは単純明快でまだ傷は浅い。だが微妙な判定の直後にズルズルとヒットが続き、最後に大きいのを打たれるというパターンだと、胃にズシーンと来る。しみったれた気分は数日経っても払拭できない。
そんな負け方をした夜はテレビを消して、ただ天を恨む。誰かにバチが当たってほしいと願う。『金色夜叉』の貫一なみに。でも「(この月を)僕の涙で曇らせてみせる」なんて叫ばない。名古屋の空を曇らせて雨なんて降ってしまえば、明日の試合が台無しだ(いまはドーム球場だから関係ないのだけれど)。
腹が立つのは、審判の判定ばかりじゃない。テレビ局もだ。ごくたまにだが、ジャイアンツの選手も微妙な判定に気色ばむことがある。そんなときのアナウンサーの騒ぐこと騒ぐこと。番組スタッフも心得たもので、かなりしつこくリプレーを流す。ドラゴンズに不利な判定のときには、あんなにあっさりしているのに。
「審判はジャイアンツの10人目のプレーヤー」「ジャンパイア」と言われる所以だ。
いや、「言われていた」かな。いまはそんなに人気ないからね、巨人も。人も成熟し、世界も多極化した。脱パクス・アメリカーナは避けられない時代だ。